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『村田エフェンディ滞土録』 本

梨木香歩が作。
昼休みにずっと読んでて今日やっと終わりましたよ。言葉にならない感情が渦巻いてます。それはけして悪い意味ではなくいい意味であるのがまた心地よい。

内容はトルコに留学している日本人の村田。彼がかの地で遭遇した諸々の日々を綴ったものがこの小説の内容。だと思う。

以下感想。かなり自分好き勝手言ってます。寧ろこれは感想か?
激しくネタバレです。



元々私、この方の『家守~』が好きでして、その作品に出てくる人物の友人が今回の主人公、村田なんですよ。最期に村田自身も言ってますけど、村田と綿貫は似ているところがある。押しが弱いというか、人あらざる者が寄ってくるというか、微妙な情けなさというか。でもどちらにも交流というものについてやさしく描かれている気がする。それが好きだ。

こちらには現実的な問題も控えていて、最期の方がかなり深刻な状況になってます。時代が少しだけ昔のトルコなので、欧米との戦争や政権のごたごたとか起きまして日本じゃないんだ、と思わせられます。
内容は総じて異文化との交流に基盤を置いていると思うんですが、その中に棘を含んだものがあってドキリとします。村田を取り囲む人物が何れも彼に文化や意見や宗教といった違いを諭すのですが、それが実感を伴っているようにも思えます。オットー、ディミィトリス、ムハンマド、ディクソン夫人、――そして鸚鵡。
皆が皆、祖国が異なり、また持っている宗教も異なる。同じ下宿の中、彼らはぶつかり合ったり、意見を求めたり、感情を共有し合って時間を共にしている。他愛ない会話の中に壁を感じたり、共感したり、感じるものがあったりと自然なのがいい。持っているものがまったく別の彼らの朗らかな空気の中に語られる生活がとてもリアルでもあった。また様々な神の存在もまた面白く興味深い。自分の陣地を確保しようとする山犬や二階の壁を走り回るキツネが神の存在を身近にしている。神と言ってしまうからややこしいのだと霊媒師の女性が言っていたが、確かにそうだなぁ、と納得してしまう。神だと思うと、かくあるべしと思ってしまう自分がいることを恥じ入ってしまいそうだ。
後半になると革命の話も混じってきて、次第に不安な村田の様子がわかる。村田の視点で見ているのだから当然自分も雲行きの怪しさに眉を顰めてしまうのだが、淡々とした文章だからなのか掻きたてられるような不安ではない。寧ろじわじわと心の蔵に毒を盛られているような不安。それが逆に怖い。けれど時間は留まることなく、村田は気になりながらも帰国の途に着くことになる。帰国を惜しむ仲間の言葉はやさしく、まさしくスタンブールでの日々は村田にとって宝だったのだと思う。トルコがどうなるのか、気になる状況のまま村田は帰国し、そこから彼らと手紙の遣り取りをするのだが、手紙は途切れていく。その事実が切ない。それが何を意味するのか、村田も思わない訳はないだろう。それでもまだ繋がっていると思いたい気持ちが彼の国際情勢に注意を向けるところから見て取れる。不安、不安、淡い期待、不安、絶望。落とされるのは村田だけではないのだ。私も落とされた。戦争という抗いたくも抗えないものが彼らを敵味方に分け、また誰も願ってなどいないのに命を奪われる。それが哀しい。落とされるのだ。
――そして、鸚鵡。この作品の登場人物たちについて詳細に語る言葉を自分はあまり持たない。ただ彼らが村田を友と呼び、村田も彼らを友と呼んだ。世界情勢厳しい社会でそれがどれほど有意義なことか、推し量って頂きたい。宝なのだ。その中で鸚鵡もまた村田の友であったのだろう。ムハンマドに肉をせがみ、オットーの真似事をして場をにぎわせた鸚鵡。その鸚鵡の計ったような合いの手に笑わされたこともしばしば。この小説のはじまりは鸚鵡であった。それならばまた、終わりも鸚鵡なのである。目を開けた鸚鵡の科白に身震いがした。
この鸚鵡の科白が、自分は作中一番秀逸だと思う。


以上感想。
なんか途中から文が違ってきてるのは書いてるとなんか自然とこうなったから。感想何だかどうなのかわかんないけど、でも最期の鸚鵡の科白を聞くことでこの小説は完成するのだと思う。
そしてやっぱり梨木さん好きだー。再認識。家守はやさしい感じだけど、村田は少々張りがある。スタンブールの乾いた空気がそう見せているのかも知れないな。

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